私達のお友達を紹介します


2005年9月更新          

  く ら よ し う つ ぶ き だ い こ

倉吉打吹太鼓
 さん
平成元年(1989年)に『太鼓の響きでまちづくり』を合言葉に倉吉の特色を活かした新しい郷土芸能の創設を目指し結成された。太鼓は林英哲さん、笛は竹井誠さんから指導を受け、平成2年(1990年)5月に初舞台を踏む。倉吉打吹太鼓の曲「風打吹流」は林英哲さんの作曲によるものです。なんといっても、倉吉といえば打吹太鼓です。打吹童子ばやしのお父さん・お母さん的な存在です。打吹童子ばやしの卒業生で頑張っている子もいます。


 む こ う や ま ゆ め だ い こ

向山夢太鼓
 さん
1997年に結成された。倉吉の向山保育園の園児による和太鼓連です。子ども達の一心に打つ姿・音はたくさんの人に感動を与えている。子ども達の純粋な太鼓の音は、知らず知らず涙を誘います。ほんとうに心を打つ太鼓です。元気をもらいます。
2002年の倉吉打吹まつりでは、卒園児の小学1・2年生で「向山夢太鼓2002」を結成し参加している。保育園を卒園して打吹童子ばやしで頑張っている子もたくさんいます。
 

 
 ひ て ん だ い こ
飛天太鼓
 さん
1998年に倉吉の太鼓好きの女性保育士小嶋明子さんが、向山夢太鼓に感動し、太鼓好きな保育士・太鼓に興味のある保育士・祭り好きな保育士を集め、飛天太鼓を結成。仕事が終わると村田速実さんの指導のもと週一回練習に汗を流している。太鼓を打っていると無心になれる。いつの間にか皆が太鼓の楽しさにはまって、7年目を迎えている。
保育園の行事や、地域のイベントで演奏活躍中である。


アフリカンパーカッションバンド
アイヤ(AYA) さん
1998年に、リーダー加納依左子さんが、ジェンベ(西アフリカの太鼓)とリズムに出会い、倉吉出身の女性を中心にチームを結成。月に1回、ギニア出身のミュージシャン “ラミン・ユール・ジャバテ” さんを招いて、ワークショップも開催したりしている。おもに地元で活動し、養護学校や老人ホーム、イベントや祭などで演奏している。
2000年の倉吉打吹まつりの「第1回飛天WASSO」ではパワフルな演奏とパフォーマンスで優勝。最近では、ジェンベとダンスの勉強のためアフリカに行ったり、2003年1月には、タイのチェンマイで演奏したりと、精力的に活動中である。


み こ し  ね っ と  ふ う が

みこしネット風雅
 さん
1996年、「倉吉を元気にしたい」とお祭り大好きな倉吉のタケちゃんこと武内恵子さんが、元気でワッショイワッショイとお祭り好きな女性を集め、女性みこし「風雅」を結成。みこしをかつぐことによって、仲間の輪、活動の場を広げ、まちの活性化を図るために、ひと肌もふた肌も脱ごうとがんばっている。2002年秋には、『全国みこしサミット』を倉吉で開催するなど、県内はもとより、県外までも精力的に交流活動中である。祭といえば風雅が盛り上げます。飛天WASSOでは第1回から打吹童子ばやしとともにレギュラーで祭りを盛り上げている。


  わだいこしゅう        が く

和太鼓衆  さん
向山保育園の向山夢太鼓の子ども達に刺激されて、「私たちも太鼓を打ちたいな!」 2005年6月、太鼓好きな、でも初めてバチを握るお母さんたちで結成。村田速実さん作曲指導で、子育ての合間を縫って、太鼓の練習に汗を流している。担ぎ太鼓の魅力にはまってしまった女10人衆です。向山保育園の七夕まつりでデビュー、第6回飛天WASSOでも活躍し祭りを盛り上げました。第9回福祉の里交流パーティーに出演。MALTA総合プロデュースによる第4回倉吉天女音楽祭のコンテスト出場しました。


 く ら よ し う し お に か い

倉吉牛鬼会
さん
くらよし盛り上げ隊「和盛」会長上田けいじさんが、倉吉を元気にしたいの一念で、賛同する仲間を集めて、2003年7月、かねてから交流のあった宇和島津島牛鬼会の支援を受けて、津島牛鬼会山陰支部倉吉牛鬼会を発足。2005年7月24日愛媛県宇和島市「うわじま牛鬼まつり」に、倉吉牛鬼会の皆さんの支援を受け、打吹童子ばやしは初参加しました。たくさんの元気と祭りの楽しさを学びました。


cdCDCAPK  さん (カンボジア/アンコールワットの町シエムリアップの友達)
カンボジア/シエムリアップ郊外のバコンという村で、家庭に何らかの事情をもっていたり、孤児である子ども達が、スバエクトーイ(影絵)の作成、上映を行いながら将来に必要な勉強や、自立を目指すべく、日々、寄宿生活を行いながら暮らしています。キー・アマリン氏が内戦で傷ついたクメールの文化を復興しようとセンターを設立され、子ども達は日々頑張っています。フランス系NGOの施設「CDCAPK」(クメール民族文化交流センター)。
倉吉発のスバエク・トーイの会が、2001年の夏に、彼らカンボジアの子ども影絵芝居のグループを倉吉に招きました。打吹童子ばやしの子ども達と倉吉未来中心の大ホールで音楽による倉吉とカンボジアの子ども達の交流演奏会を行いました。カンボジアの子ども達のあったかくて優しい心に魅かれて、翌年2002年4月には、なんと、打吹童子ばやしが海を越え、カンボジア/シエムリアップでの交流演奏会を実現し、以来、スバエク・トーイの会を通じて交流が続いています。


     ほ う じ ょ う こ ど も さ き ゅ う だ い こ
北条こども砂丘太鼓 さん  (隣町の北条町の友達)
北条砂丘太鼓はいつ頃どこで打たれていたのか定かではありません。干ばつに苦しみ、「北条砂丘の嫁ごろし」とまで言われた水くみ労働にあえぐ農民が、雨乞いとして夜ごと砂丘の高浜で打ち鳴らしたと伝えられています。太鼓の響きは、広い砂浜を伝わって近隣の村々までとどろきわたり、「悪い子はいないか、なまけものの子はいないか」などと妖怪がほえているのだと言って、子どものしつけや勉学の励ましにしたと言われます。砂丘太鼓の本流は「やけくそ太鼓」ともいわれ、リズムとして整わない乱れ打ちと、単調なリズムで長い時間にわたって連打するものがあります。この子ども砂丘太鼓は本来の北条砂丘太鼓を短くまとめたもので、北条の子ども達が元気いっぱい演奏されています。


    み と く さ ん ぎ ょ う じ ゃ だ い こ
三徳山行者太鼓 さん  (隣町の三朝町の友達)
今から約1300年前、伝承では「706年(慶雲3年)、役の行者が白雲たなびく崚嶺(れいほう)をよじのぼり神窟(じんくつ)をひらいて、子守(こもり)・勝手(かって)・蔵王(ざおう)の三神をまつったのが、三徳山のはじまり」だといいます。そして、今から800年前、大山寺によって、三徳山はすべて焼けうちにあい、焼失してしまったと伝えられています。そして、そのころ僧兵同士がぶつかりあい、戦ったときに、意気高揚のために、また、供養のために叩かれた太鼓が行者太鼓と言われています。そして、この太鼓を地域の若者が、800年ぶりに復活させました。この太鼓を、後継者育成の目的で、9年前より、三朝東小学校の4年生・5年生・6年生の有志で結成し、活動されています。


    そ う の う だ い こ
倉 農 太 鼓 さん
鳥取県立倉吉農業高校の太鼓部は平成6年に創設されました。倉吉打吹太鼓の奏者の会の指導により、倉吉打吹太鼓の「風打吹流」を基本に「倉農太鼓」として誕生しました。全国高等学校総合文化祭郷土芸能部門に鳥取県代表として3回出場し、県内の高校生の郷土芸能大会はもちろんのこと、さまざまなイベントや式典等などに招待され、演奏されています。打吹童子ばやしのお兄さんおねいさん的な存在になります。2003年鳥取県青少年郷土芸能の祭典で共演しました。オープニングでは「ねぶた」をセッションしました。


 ア    ラ    マ   ・   ジュ     バ      テ
ALAMA・DIOUBATE さん
ギニア人の民俗音楽伝道師のアラマさん。倉吉の麻子さんと結婚して倉吉に移り住む。アフリカンパーカッションバンドAYAさんとの交流の中で、打吹童子ばやしの子ども達も、アラマさんとお友達になりました。


た け う ち か つ ふ み

竹内克文
さん 
★1970年1月鳥取県三朝町生まれ★大阪の音楽専門学校を卒業★ロックバンドのギタリストとして関西で活動★1995年単身上京、ギター弾き語りをはじめる
★1999年に日テレ「ズームインサタデー」のストリートミュージシャン特集で取り上げられられる★2004年3月、日本海テレビ「ニュースプラスワン」でドキュメンタリーを放送される★★2004年9月「サイレン」が日本海NCNテレビのテーマソングに取り上げられ現在も放送中★ツアーでは東北、中部、関西、中国地方などをまわり、関東で主にライブ活動中。
2005年8月倉吉打吹まつりでは、打吹童子ばやしと一緒に祭りを盛り上げていただきました。
通称「KATTUN」さんです。






                                        

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